皆口を揃えて言うには、
“父親”とは怖いものらしいです。
一家の大黒柱で、雷を落とす。
機嫌を損ねないように
気をつけて接っする対象らしい。
反面、
母親に対しては普通に家族の愛情を持ち
最も身近な存在として接しているようです。
なんと、
母親と二人で食事や旅行に行く
人たちもいるとのこと。
私には全く理解できません。
我が家ではむしろ
母親の方が暴君でした。
酒を飲んだくれて、
キチガイじみた騒ぎを起こす。
腫れ物に触るどころか、
気性の荒いドーベルマンと
暮らしているようなものでした。
逆に父親は、
同じ飲んだくれでも、
影が薄い人でした。
私が小学生の頃には
病気になって仕事が出来なくなり、
家にいたり病院に入院していたりで
父権も威厳もあったものではありません。
父親にしろ母親にしろ
そういう人間たちでしたので、
私は“家族愛”というものが
よく理解できないまま育ってきた
ような気がします。
私が小学校低学年の頃に
とっとと結婚して家を出て行った強欲姉は
姉弟どころか親戚という意識すら
薄い存在です。
強欲姉が消え、
飲んだくれ両親の元に取り残された私。
いつ自殺騒ぎや傷害事件を起こすかわからない両親を前に
常に「自分がしっかりしなきゃ」という強迫観念に
迫られてきました。
不思議なもので、その後の人生において、
家庭以外のシーンでも同じ様な立場に
立たされてきました。
中学の部活では新入生の私達が初代部員となる
クラブに所属したため先輩がいませんでした。
高校では美術部でしたので、
男子の先輩はいましたが物腰は柔らかです。
オタク趣味で活動していたいくつかのサークルも
不思議と一番年長者の部類に入り、
私にとって
“たよれる兄貴”
的な人が皆無でした。
なんとなく「自分がしっかりしなきゃ」という
思いを常に持ち続けてきました。
体育会系的な先輩後輩の間柄に恵まれず
長年、“年上の男性”に憧れてきましたが、
たまに現れる“年上の男性”は
前職の暴君雇用主や現職のパワハラ上司で
こいつらは“敵”でしかありません。
さあ、まうぞうくん、
何も心配いらないよ。
全て私にまかせて
くれたまえ。
と言って優しく包み込んでくれる
大企業の元オーナーで悠々自適なお金持ちが
現れないもんですかね。
ちなみに、
得られなかったものへの憧れですが、
“父権”には憧れを抱き続けてきましたが、
“やさしい母親”や“気の合う姉”なんてのは
最初から憧れすら持ち得ませんでした。
ドーベルマンに噛まれて瀕死の重傷を負った子供が
「いつか優しい犬と暮らしたい」と思うでしょうか?
生涯、嫌い抜くだけですよね。







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