貧乏神に愛されて
貯金なし、保険なし、資産なし、借金ありのどん底です。生まれたときから貧乏で、絶望的に金運が無い貧乏神様に愛された適応障害持ちの貧乏人(びと)のブログ
Answer2
昨日に引き続き
とある事象に対する
私なりの回答の続きです。

普通の記事としてもお読み頂けます。





私のポリシー・・・
って言うほど立派なものでは
ありませんが、
常々思っていることがあります。

それは、



他人の不幸は他人の不幸。

自分の不幸は自分の不幸。




ということ。



「不幸」「悩み」と置き換えてもいいです。



人の不幸はその人の
性格や性質・経歴・環境などで
感じ方は変わってきます。

他人から見たら、
どんなに軽い不幸に見えても
当人に取ったら
死にたくなるくらいの不幸
かもしれません。

逆に、

他人から見たら、
人類滅亡クラスの不幸を
背負っているように見える人でも
当人は意外と平気なのかもしれません。

だから私は
不幸を感じている人には

「何だそれくらい。」

とか

「がんばれ。乗り越えろ。」

なんてことは言えません。

「分かる分かる。」

とも言えません。



私の尺度で
勝手に相手の不幸の大小を
判断出来ないと思うからです。

私の持つメジャーと
相手の持つメジャーの単位が違えば
計ることはできません。



ただ、

「大変だね。」

としか言いません。

「どうしよう?」

と聞かれたら、

「どうしたい?」

と聞いてみます。



「人は他人を救えない。」



この考えが根底にあります。



幼少時に
誰の救いも期待できない環境で
絶望の日々を送っていたことが
一因かもしれません。



ただ、他人に対して、
若干の支えになることは可能です。

でも支えてあげるなら責任が伴います。

私が支えてあげると
相手は私に少し体重をかけます。

相手はだんだんその状況に慣れ、
それが普通になります。

ある時、私が手を離すと
相手は、自分自身にかかる重圧が
増したように感じます。

それは相手にとっても私にとっても
悪影響でしかありません。

相手を支える場合は
相手が「軽くなった」と感じるまで
支え続けなければなりません。

それもまた辛いものです。



私は、
いろんな経緯があって

「不幸はその人固有のものなり。」

という考えに至りました。



ビルゲイツの

100億ドルの損失よりも

私のパチンコ

3,000円負けの方が

感じる不幸は

大きいはずです。




ドライな感じに見えるかもしれませんが、

「他人は他人」

という立場・視点を常に
抱いています。



不幸を感じている相手を
「救わなきゃ」
と思う方がいらっしゃいます。

それは優しさの表れなのでしょう。

でも、
自分の手で持てる荷物は
限られています。



まずは自分の荷物をしっかり持って
自分の足で歩める状態になって初めて
他人の荷物が持てるもの。

私自身は非力ですから
他者の荷物は持てません。





以上、私の答えでした。




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