私が初めて適応障害の症状を実感した時期、
(まだ「適応障害」どころか、
心療内科にかかるような症状とも知らず、
そもそも「心療内科」という病院の
存在すら知らなかった頃のこと)
私に
「心の病系かもね。
心療内科を受診してみたら?」
と奨めてくれた人がいました。
社会人になって出来た年上の友人で
私にとっては初めて出来た兄貴的な
友人でした。
筋金入りの鬱病でした。
「タヒにたい、タヒにたい。」
が口癖でした。
未遂的なこともやってました。
当時、私は心の病について何も知らず、
「鬱病」=「自堕落」
程度にしか思えなかったものですから
結構、ダイレクトに彼に言ったものです。
「え?未遂・・・って、
本当はタヒにたくないんでしょう。
だって100%確実な方法やったら
失敗なんかしないでしょう。
電車とか、ビル飛び降りとか。」
かなり残酷だった私です。
そんな暴言を吐く私を
にこやかに受け止めてくれた
兄貴でした。
兄貴の奨めに従って
私も心療内科の門をくぐり
薬を処方されたお陰で
とりあえず小康状態を得ました。
兄貴には本当に感謝です。
兄貴はあらゆる分野にとても博識で、
性格は温和な感じで、
無知な私の言葉をすべて包み込んで
くれるような人でした。
“超”がつくオタクで、
その世界での知識や実績も
とても私なんか足元のつま先の爪の垢にすら
及ばない程造詣が深く、
いろいろと遊んでもらいました。
優しい奥さんと2人の子供に囲まれて、
かなり立派な持ち家に住み、
クリエイティブな職に就いてました。
ご実家はそのあたりの地主さんで、
家賃収入だけでかなりあるような富豪です。
私にとってはどんなに欲しくても
一生手に入れられないものを沢山持ってる
憧れのまとのような人でした。
ただ、鬱病が酷い
のが難点でしたが。
紆余曲折があって、
今ではもう会えません。
一生会えないかもしれません。
別に喧嘩したとか疎遠になった
とかじゃないんですが、
諸事情
があって思い出の中の人
となってしまいました。
どこかで元気でいるのなら
それでいいです。
でも、兄貴、
もしも縁があったら
また遊びたいです。







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