貧乏神に愛されて
貯金なし、保険なし、資産なし、借金ありのどん底です。生まれたときから貧乏で、絶望的に金運が無い貧乏神様に愛された適応障害持ちの貧乏人(びと)のブログ
懺悔
子供の頃、
私は絵が上手かった。



大人になって、
イラストやデザインで
お金がもらえるようになる程度には
絵が上手かった。

全国レベルでは決してないけれど、
県や市町村レベルでは賞をもらう
程度には上手かった。



クラスの中でも

「まうぞうは絵が上手い」

という位置にはいた。

ナンバーワンではないが

「絵が好きな種族」

に属しているとは
皆に認識されていた。



話は変わって、
小学校の高学年の時、
バス旅行は長崎だった。

いろんな所を廻ったはずだが
覚えていない。

一カ所だけ鮮明に覚えているのは
平和公園と原爆資料館だ。

子供心には平和とか戦争とかは
よく理解できない。

ただ原爆という兵器の酷たらしさを
目に焼き付けられたことの方が強い。



さて、
今の小学校や当時の他の小学校にも
同じ行事があったのかどうかは知らないが、
私の通った小学校にはバス旅行のあと、
体育館で全校生徒の前でその体験記を
発表するという行事があった。

「こんな凄い所に行きました。」

「こんな忘れられない体験をしました。」

とかね。

大きな模造紙に絵や文字を描き、
時には劇を交え、
どんな体験をしたかを発表するのだ。

クラス毎に別々の訪問先を担当する。



お絵描き属性の私には
当然のごとく発表用の絵を描く役が
廻ってきた。

何枚もの絵を描いた。

他に何を描いたのかは忘れたが、
一つだけ覚えているのは
原爆投下直後の廃墟の街並だった。

私はがんばって“廃墟”を描いた。



またまた話は変わるが、



司書さんだか、
事務員さんだか、
はたまた本物の教職員だったか不明だが、
私の通う小学校の図書館には
生徒から

“図書の先生”

と呼ばれるおばちゃんがいた。

私が小学生の時に
見た所50~60代だった先生だ。



以上が前提。



こっから先が重要な部分だけど、
発端は忘れてしまって覚えていない。



“他の先生から教えられてそうしたのか”

“生徒の間では周知の事実だったからそうしたのか”

きっかけは不明だが、
私の描いた絵の校正を
図書の先生にお願いに行った。



図書の先生は長崎で被爆されていた。



無邪気に、得意げに
自分で描いた絵を見せる私に、
図書の先生は、

「よう描けとる。じょーず。じょーずやねえ。」

と褒めてくれた。



私は無意識のうちに
先生の心の奥底の傷を
えぐっていたのではないか・・・

と思いついたのは
ずいぶんと大人になってからだった。



勝手な想像だけれども、
計算すると、
図書の先生は10代の頃に被爆されている
と思われる。

心に傷が残らないわけがない。

何も知らない小学生のガキが
資料館で粗いモノクロの写真を見ただけでも
これだけショックを受けたのに、
多感な10代に生で体験した地獄絵図。

そんなトラウマを
全く罪の意識もない生徒が
容赦なくえぐりに来る。



どれだけショックだっただろう。



でも、
いつもと変わらない柔和な笑顔で
私の描いた絵を褒めてくれた先生。

今どこにいらっしゃるのか、
礼儀知らずを承知で言えば、
存命でいらっしゃるかどうかも
分かりません。



来世があるのか、
あの世があるのかわかりませんから、
もう一度お会いできる日はあるまいと
思いますが、
私の心底からの懺悔したい一つです。



先生の笑顔は今でも忘れません。



マリア像や菩薩像よりも
私にとっては根源的な
慈母の愛の結晶でした。




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