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貧乏神に愛されて
貯金なし、保険なし、資産なし、借金ありのどん底です。生まれたときから貧乏で、絶望的に金運が無い貧乏神様に愛された適応障害持ちの貧乏人(びと)のブログ
記憶の断片
何度か書きましたが
私の父は自ら冥界へ旅立ちました。



飲んだくれで糖尿病持ちで
仕事もままならず、
私が中高の頃はずっと
自宅療養の父でした。



私が高校の時、
1回目のチャレンジを
しました。

裏庭の柿の木でした。

この時は私が発見し
一命を取り留めました。



2回目のチャレンジは
屋内の太い梁でした。

この頃私は家を出て暮らしていましたので
発見が遅れて成功してしまいました。



2回目の時は
私が駆けつけた時はもう
お棺に入ったご遺体状態でしたので
その後は葬式やら何やらのドタバタ
が記憶に残ってます。



1回目の時、
私が高校生の時のことは
記憶が鮮明に覚えている部分と
全く記憶が欠如している部分が
交互に差し挟まれています。

まるでつぎはぎの
映画フィルムを観ているようです。



ぶら下がったのを発見したシーンは
今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。

しかし、
次の記憶では室内に横たえて
意識や呼吸を確認しているシーンに飛びます。

どうやって室内に運んだのかが
全く記憶がありません。

その時の状況から
私が1人でやったはずなのは
間違いありません。

飲んだくれ母は、
伴侶が瀕死の状態の時、
飲んだくれて寝ていました。

病気でやせていたとはいえ、
成人男子の全体重がヒモに食い込んで
高い位置にぶら下がっているのを
どうやって持ち上げたのか。

全く覚えていません。



次のシーンでは
うちの飲んだくれ母と仲の良かった
クリーニング屋のおばちゃんが登場します。

咄嗟に私が呼びに行ったのでしょうか。
よく覚えていません。

おばちゃんが父の状態を確認し

「こりゃダメ!救急車!」

と促します。

私が119番に電話したのは覚えています。



そこから病院までは
結構鮮明に覚えています。

隣市の大きな病院を目指すのですが、
よほど状態が逼迫していたのでしょう、
途中の診療所に立ち寄って、
お医者さんに注射を打ってもらってました。

おそらく強心剤か何かでしょう。

大病院についたらいきなり
心臓に電気ショックを与えてました。

止まっていたのでしょう。



救急隊員さんに小銭を借りて
家に電話をしたのを覚えています。

財布も持たずに救急車に飛び乗ったんですね、私。



ここから記憶がまた消えます。

どうやって家まで帰ったのか覚えていません。

父はそのまま集中治療室行きでした。

付き添って泊まった記憶もありませんので
どうにかして家に帰ったのでしょう。

今、改めて、当時の家と病院の位置関係を考えると
公共交通機関の乗り継ぎが悪い位置にあります。

バスや電車を何度も乗り継がなければなりません。

そんなのに乗った記憶はありません。

誰かが迎えに来たのかな?



ドキュメンタリーやドラマで
緊急事態に遭遇した人が、
火事場のバカ力を発揮したり
その時の記憶が飛んでしまうというのを
話していることがありますが、
まさしく私もそうだったのでしょう。




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