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貧乏神に愛されて
貯金なし、保険なし、資産なし、借金ありのどん底です。生まれたときから貧乏で、絶望的に金運が無い貧乏神様に愛された適応障害持ちの貧乏人(びと)のブログ
いじめられっ子
小学生の頃いじめられていたようです。



「ようです。」

と言うのも、
いじめられている自覚がなかったからです。


殴られたり物を隠されたりというような
露骨な「THEいじめ」的なことがあれば、
さすがの私もいじめられていることに
気づいたでしょうが、
そこまで酷い迫害は無く、
単に周囲からからかわれる程度のものでした。


そう思っていたのは自分だけ?


・・・まあいいでしょう。


とにかく、

「今考えたらいじめられていたのかなあ」

と感じるくらいのことです。


バカにする材料には事欠かない私でしたので、
そりゃいじめたくもなろうかってもんです。


以下のような内容で
周囲から嘲笑されていました。


・父親の職業

今で言うなら産業廃棄物処理業ですが、
当時は「地金屋(ぢがねや)」と呼ばれ、
3K職の代表格のような扱いでした。

オンボロトラック・薄汚い作業着。

父のそんな姿を見られるのが恥ずかしかった。


・母親の年齢

今では珍しくもないのでしょうが、
私は母が40歳間近の子でしたので、
級友達の母親とは一世代ずれていました。

これまた参観日が恥ずかしかったです。

級友の母達は高度経済成長を見てきた人達でしたが、
私の母はリアルに空襲警報を聞いて防空壕に
避難していた人ですから。


・あばら屋

屋根に瓦が無くボロ布が敷いてあり、
穴の開いた板葺きの壁、
そんなボロ家が目立つ道路沿いに建っていました。
くみ取り式便所に土間の台所とコンクリ流し台、
石炭風呂に低い天井の家が家賃7,000円。

とても友達を呼べるものではありません。


・身体的特徴

私は身長はやや高めで肥満でもなく
知恵遅れ的なこともなかったのですが、
唯一、


眉毛が薄い


というハンデを背負っていました。

これが一番深刻だったかもしれません。


・貧乏

これはもう、身につけている物や持ち物、
文具や自転車や持っているオモチャなどを見れば、
子供王国の中では簡単にばれてしまいます。

「私は貧乏です」っていう看板背負って
歩いているようなものでしたから。


・電話

「あばら屋」「貧乏」にも通じるのですが。
我が家は私が高学年になるまで
固定電話がありませんでした。

私が幼い頃(しかも田舎)においてさえ、
学年全体を通じて電話連絡網に掲載された番号が
「隣家への呼び出し」だったのは
私を含めて2人だけでした。



他にも色々とあったような気がしますが、
そんないじめもどきを受けていたのも
小学生まででした。

中学になってからはオタク道を突き進み、
幸いにして一般人達に対して
ちゃんと市民権を得ることが出来たオタク族を
構成できましたので、
いじめられることは無かったです。

私が中学になった頃が
全国的に「校内暴力」が問題になった時期で、
うちのような田舎の中学にも
気合いの入ったリーゼントが結構いました。

喧嘩沙汰や暴力沙汰も見たことがあります。

そんな不良連中も

「まうぞうは絵が好きな特殊なヤツ」

という認識を持ってくれていたので
普通に付き合うことができました。



「貧乏」「飲んだくれ親」が辛かった分
学校生活ではそんなに辛い思いでが少ない私です。




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