「この世界の片隅に」
を見てきました。
北部九州のド田舎在住なものですから
上映される映画館も限られています。
シネコンは全滅でした。
仕方なく私たちが行ったのは
昭和の臭いが漂いまくる
繁華街の外れの場末の映画館。
箱は一つだけで、
座席は70席たらずしかありませんでした。
上映映画は時間によって変わりますので、
「この世界の片隅に」は昼と夜の2回上映。
私たちは日曜の夜の部に行ってまいりました。
「この世界の片隅に」
原作は電子書籍で持っていて
何度も読んだ上での視聴です。
思想的・主張的感想は
ひとまず置いておいて、
まず思ったことは、
「戦争のアニメやドラマで、
自分もその時代に生きているような
錯覚を起こす作品は初めて。」
でした。
それだけ
丁寧に、リアルに、丹精込めて
創られた作品ということなの
でしょうね。
のんさんの声がまた絶品です。
非常に良い出来の作品だった
と思います。
作者のこうの史代さんは、
「戦争の悲惨さを語るのに
死者の数に注視されることに
違和感を感じていた。」
とおっしゃっていました。
確かにその想いは伝わりました。
原爆や東京大空襲のように
10万人単位の死者数ではなくとも、
地方都市である呉市も空襲の惨禍にみまわれ、
数百名・数千名の人が亡くなってます。
主人公の見知った人も亡くなる。
たった1人の死でも
これだけ悲しくこれだけ衝撃的で
激しい憤りを感じること。
何千回という本土空襲の中の1回であり、
さらにその犠牲者の中の1人の情景ですが、
その、たった1人の人にも
愛し愛される人がいたり、何でもない日常があったり、
そしてそれが全て空襲という殺戮で
崩壊してしまうこと。
とても強く受け止めました。
ここで、
あえて、こうの史代さんの意に反して、
数字的な表現をするならば、
このアニメ内で1人の死に感じた悲しみは、
そのまま、大戦で亡くなった数百万の人
1人1人に存在したであろうことを想像する時、
果てしのない絶望感を感じてしまいます。
現代の災害の際の社会でも思うのですか、
数万人が亡くなったから大震災で、
数十人が亡くなったから普通の災害と
規模によって悲しみの強弱を
感じてしまっては危険だということ。
そういう事を強く思いました。
これが逆に作者がおっしゃる
「数で語られる危うさ」なのだろうと
思います。
災害の被災者や戦争の被害者
1人一1人に人生がありドラマがあり
親戚友人知人があり生活があり
それが理不尽にも断ち切られるという
悲劇は赦すべきではない。
そういう事を感じた作品でした。







拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございます。
あなたの応援が貧乏神様打倒のエネルギーです。
よろしかったらクリックをお願いします。
何かしら感想を抱いて頂けたら是非【拍手】をお願いします。
この映画、非常に良いそうですね。周りでも評判を聞きます。毎年夏に放映するのは「火垂るの墓」ではなく「この世界の片隅に」にしてほしい、と言う人も多いです。
僕も気になってるのですけど、世界観・時代設定的に間違いなく重くつらい結末しか見えないので、今の僕にはちょっとつらい様に思えて、まだ見に行けてません。
でも、そのうち見たいと思います。
確かに戦時下という時局を扱っている以上、重い展開や悲しく衝撃的な事もありますが、それ以上に、“日常”“笑顔”“ふれあい”といった要素を強く感じる作品ですよ。機会があったら是非ご覧下さいね。