私は親戚付き合いというものが希薄な
人生を歩んできました。
ほとんど無いと言っても
いいかもしれません。
父方の親戚とは私が幼い頃から
交流が制限されていました。
私が生まれる前に、
母と父方の親戚との間で
何か致命的なトラブルが
あったようです。
たまーに会うのは私の祖母と
父の兄である私の叔父、
父の妹である私の叔母の3人だけ。
他にどんな叔父叔母がいるのか、
どんな従兄弟がいるのかさえ知りません。
その限られた交流も
私が中学生の頃にはほぼ途絶えました。
その後、最後に上記3人に会ったのは
私が19歳の時、私の父の葬式の時でした。
年齢的にはみんなもう死んでるでしょうが
確認のしようもありません。
母方の親戚とは
昔はそこそこ交流がありました。
しかし、以前も書きましたが、
水商売やヤクザもどきや学会信者など
とてもまともではない連中ですので
私は極力接触を避けていました。
母が存命中に我が家が若干遠くへ引っ越しましたので
それを機に私はほぼ交流ゼロになりました。
母がまだ公共交通機関を利用できてた頃は
訪ねて行っていたみたいです。
私の唯一の兄弟である強欲姉は
このブログの登場人物紹介やプロフィールにも
書いています通り絶縁しております。
そんな親戚と呼ばれる人たちとの疎遠な関係。
叔父・叔母・強欲姉とは私の母の四十九日以来、
6~7年は会っていません。
従兄弟連中とは10年以上会ってません。
今では年賀状すら出してません。
という現状です。
そんな中、
先日、叔父が亡くなったとの連絡が
従兄弟からありました。
この叔父には昔から
100くらい世話になりましたが
100億くらい被害を被りました。
(※数字は金銭の額ではありません。感覚的な単位です。)
とにかくトラブルメーカーでしたので
私はあまり好きではありませんでした。
しかし、
私もいい歳した大人になりました。
極少ないとは言え100くらいは
世話になったのも事実です。
そこで意を決して、
先日、叔父の通夜に行ってきました。
当然の如く、親戚連中も来ていました。
私の母の四十九日の時以来、6~7年ぶりに会った、
叔母Aはボケており、叔母Bは入院中で、叔母Cは老け込んで、
という実情を知り月日の長さを実感しました。
10年以上ぶりに会う
従兄弟連中はさらに変わっておりました。
どいつもこいつも相当老けてました。
すでに孫がいる従兄弟もいましたよ。
無理もありませんね。
遠方住まいなのですが
強欲姉夫妻も来ていました。
ちょっとビックリです。
が、
別にこちらから
攻撃したり恨み辛みを言ったりは
しませんでしたよ。
かと言って話かけもしませんでしたが。
年齢的にこれが今生の別れだとしても
何の感慨も湧きません。
向こうも私からお金を奪っていった後ろめたさか
目を合わせようとはしませんでしたし。
私の中では「死んでくれ」リストに入ってますので
久しぶりに会おうがどうしようが、
私にとっては路傍をすり抜ける野ネズミ程度の存在です。
眼前で車にはねられても無視するでしょう。
あの連中に後ろ指を
さされるのだけは我慢が出来ませんので
香典はネットで調べた香典相場情報の
最上限の額を入れておきました。
次にまた会うことがあるとするならば
今回亡くなった叔父より年上の
叔母連中の葬式の時でしょうか。
行くかどうかも分かりませんし、
そもそも私へ連絡が来るかどうかも
分かりません。
最後に、
今現在、私の家族と呼べるのは
嫁子ちゃんと嫁子ちゃんの母親だけです。
私は嫁子ちゃんの親戚とも
滅多に付き合いがありません。
嫁子ちゃん実家に住んでおりますが、
入り婿でもありませんので
嫁子ちゃんの親戚連中から見たら
単なる“同居人”的な存在にすぎません。
“血縁”的には天涯孤独感な男です。







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